1967-1976
チャールズ・ロイドの特長的なトーンとキースジャレットの繊細な鍵盤のテクニックは、第1回モントルー・ジャズ・フェスティバルの会場を感動の渦へと巻き込んだ。1967年7月16日、この後長い歴史と多くの逸話を残すことになる『モントルー・ジャズ・フェスティバル』が誕生した。わずか8,000スイスフランという予算にも関わらず、クロード・ノブスが念願の夢を果たす記念すべき日となった。
1968年には永遠の歌姫ニーナ・シモン。1969年はエラ・フィッツジェラルドと、ソウルミュージックの女王アレサ・フランクリンとロバータ・フラックが参加。
ウッドストックで才能を見いだされたサンタナは、1970年にモントルーで最初のコンサートを行った。その後も、この地に対する特別な思いから、彼は新しい作品を発表するたびに、必ずにこの地に舞い戻っている。
1971年には、フランク・ザッパの熱狂的なファンがモントルーのカジノ(フェスティバル会場)に火を放った。 ディープ・パープルの名曲“Smoke on the Water”は、この放火事件を題材にしているという逸話を残しているが、その真相はさだかではない。
フェスティバルのパイオニアとして、『モントルー・ジャズ・フェスティバル』の存在は大きい。ジャズを大胆でかつエキサイティングな音楽の代名詞たらしめることに一役かったことは間違いない。
1973年には、マイルス・デイビスが『モントルー・ジャズ・フェスティバル』において最初のコンサートをに行い、そのシンボル的存在となった。また、1974年には、トランペットプレイヤーであるレスター・ボウイ率いるアート・アンサンブル・オブ・シカゴが参加した。
1975年にはチャールズ・ミンガスのダブルベースとアーチー・シェップのサクソフォーンが聴衆を魅了。そして1976年は10周年を迎えた記念すべき年だ。その年、“voice of Jazz”アル・ジャロウが歓迎された一方、ローリング・ストーンズが“Black and Blue”を収録するために選んだスタジオ“Mountain Studio”がカジノに移設されたことは『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に深みを与えるひとつの要因となった。
1977-1986
『モントルー・ジャズ・フェスティバル』はより公演が長くなり、世界中の音楽を交え、より豊かな表現を備えていった。1977年にはフランスがベロニク・サンソンとともに名誉客員となる。『サンパウロ・フェスティバル』とのコラボレーションは南米の熱気をモントルーにもたらし、ブラジルでは1978年に夜明けまでのカーニバルが行われた。モントルージャズレーベル始動の時だ。
同年、“The Genius”レイ・チャールズはディジー・ガレスピーと歴史に残るコンサートを行った。ブラジルでのイベントの後の1979年、レゲエはジミー・クリフ、デニス・ブラウンらによって“レゲエ・ナイト”という独自のスタイルをフェスティバルに吹き込んだ。1980年には、マービン・ゲイ、サンタナ、エルビス・コステロといったアーティストを集めた『デトロイト・フェスティバル』に『モントルー・ジャズ・フェスティバル』がコラボレートした。1981年、ソウルのゴッドファーザー、ジェームズ・ブラウンは会場となったカジノに感動の渦を巻き起こした。
2年後、クロード・ノブスはスティーブ・レイ・ボーガンというテキサスの若者をヨーロッパに紹介した。ほどなくして彼はスーパースターとなり、デビッド・ボウイとともにパフォーマンスを繰り広げた。1984年にはマイルス・デイビスはモントルーに舞い戻り、最高の舞台を演出した。そして彼は『モントルー・ジャズ・フェスティバル』のエンブレムとなったのだ。
20周年を迎えた1986年、キース・ヘリングとアンディー・ウォーホルによってポスターが描かれ、ポップロックはエリック・クラプトンと彼の友人でドラマー、フィル・コリンズとともにモントルーに登場した。
1987-1996
開催から20年目を過ぎるとアーティスト同士のセッションが多くなってきた。1993年にはストラヴィンスキー・オーディトリウムとマイルス・ディビス・ホールの同時開催が話題を呼んだ。またこの頃、モントルー・ジャズ・カフェというジャズの生演奏を飲物や食事をしながら楽しめるカフェも登場し『モントルー・ジャズ・フェスティバル』は音楽の祭典というだけでなく、街全体のフェスティバルと進化していった。
モントルーでは、マイルス・デイビス・ウィズ・ギル・エヴァンス・オーケストラとジョージ・グランツジャズバンドのコンサートだけではなく、ミスターQのもと、フェスティバルはスティング、BBキング、レイ・チャールズ、トレイシー・チャップマン、ラロ・シフリンといったアーティストも参加し、『モントルー・ジャズ・フェスティバル』は、さらに新しい音楽ジャンルへと扉を開いたのだ。
1995年には、シェブ・マミとユッスー・ンドゥールを呼び、ギャング・スター、アイス・T、グールー・ジャズマタズの歴史的なヒップホップナイトはいまだに新鮮だ。そしてセンス・ユニーク、ジョージ・クリントン、ロイ・アイヤーズの存在は、すべての人々の記憶に残るものになった。
1997-2006
1997年の前夜祭はエリック・クラプトン、マーカス・ミラー、スティーヴ・ガッド、デイヴィッド・サンボーン、そしてジョー・サンプルという5人の巨匠が一堂に会し“Legends”と呼ばれた。この競演ははある意味奇跡といってもいいだろう。また、ザ・パレス・スモール・シアターでブラッド・メルドーがその才能を見出され、メインステージにて出演した。
1998年には、ハービー・ハンコックがヘッドハンターズと再演する一方、アイスランド人のビョークは、自身の作品“Homogenic”で活気ある演奏を行った。
R.E.M とアラニス・モリセットが続いた1999年、ジョージ・ベンソンとダイアナ・クラールの出会いがあった2000年も忘れがたい。メイシー・グレイがビブラハープにて観客を感動の渦に巻き込んだのも忘れてはならない。
21世紀最初の『モントルー・ジャズ・フェスティバル』は、アメリカ20都市ツアーで幕を開けた。『モントルー・ジャズ・フェスティバル』が長年にわたり世界中でパートナーシップを築いてきた結果だ。この伝統的な音楽の祭典はいまも音楽界のメディアの一つとして、観客を魅了している。
ロックでは、グラムロックの象徴であるデビッド・ボウイが大衆を熱狂させた。また、モントルーでのマイルス・ディビスの演奏がCDセットとなってリリースされている。
2003年、『モントルー・ジャズ・フェスティバル』はレディオヘッドとザ・ストリーツによって“さらに”洗練された。2004年には、ジェイミー・カラムの繊細な弦の音が鳴り響き、大衆はいままでにない悦楽に浸った。また、ジョス・ストーンが子供たちのアイドルとなり、ヒップホップのブラック・アイド・ピーズ現象が巻き起こったのも記憶に新しい。
海外開催年及び開催地

2005年にはアトランタにある Woodruffアートセンターにて、キース・ジャレットやバディ・ガイ、エディ・パルミエリが参加し、『17thモントルー・ジャズ・フェスティバル・イン・アトランタ』を開催。数々のコンサートやセッションだけではなく、モントルー・ジャズ・フェスティバルならではのワークショップなどで魅了した。
- 1978-1979
- サンパウロ
- 1980
- デトロイト
- 1987-現在
- アトランタ
- 1998-1999
- 東京 (2009~2010計画中)
- 2000
- アメリカ20都市
- 2001-2002
- モナコ
- 2005
- プラハ
- 2005-現在
- シンガポール
- 2006
- マラケシュ-モロッコ

モントルー・ジャズ・フェスティバルは、スイスでもっとも重要な文化的イベントといっても過言ではない。ジュネーブ湖(レマン湖)岸に面するモントルーで行われるこの音楽フェスティバルは、7月初旬に16日間開催されている。
- イングランド ロンドン
- ヘヴィメタル/スピードメタル
- Ace of Spades (1980)
- Ace of Spades
- サンクチュアリ・レコード
SPV
エピック・レコード
GWR レコード
ブロンズ・レコード
ビクターエンタテインメント - MOTORHEAD

